米騒動研究ブログ

米騒動について、複数の書き手によるブログです。これまでの研究を紹介したり、ネット記事にコメントしたりとのんびりやっていきます。

米騒動と朝鮮・韓国とのつながり 関西の図書館虫

                                 

 奥野達夫さんという方が自身のブログ「なんと万華鏡」において、「韓国KBSテレビから取材」という記事を書いておられます。なお、奥野さんは富山県民カレッジ「JE151 ’12セミナーふるさと富山再発見講座」の中で、米騒動の女たち」という講演もなさっておられます。

「インターネットのブログで両国の歴史的事実がわかったので」と書いておられるが、米騒動と朝鮮とのつながりについては、豊富な研究があるのをご存じだろうか。「韓国でも米騒動や投機が国内を大混乱にした」と奥野さんは、日本での米騒動と韓国の米騒動が関係していることを書かれていないが、当時朝鮮半島は日本の植民地であり、日本政府が朝鮮米の買い付けを行っていたので、韓国内で米の値が上がり、食べていけない韓国の人たちは、賃上げのストライキや米騒動を起こさざるをえなかったのです。

米騒動と韓国のつながりがあまり知られていないようなので、その点は、名著といわれる吉岡吉典「米騒動と朝鮮」を読んだらよいでしょう。日本朝鮮研究所から出ている『朝鮮研究』に連載されています。

41 1965-7米騒動3.1運動、在日朝鮮人の米騒動参加、朝鮮での物価騰貴と窮乏

45 1965-11シベリア出兵と朝鮮の米価騰貴、日本の米価対策と朝鮮

481966-3  米騒動の朝鮮への波及

561966-11  朝鮮での米騒動対策、朝鮮民衆にとっての「米騒動」の意義

吉岡さんは他にも、31運動90周年に思う」(日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会AALA』第一号200961)など書いてい朝鮮史の専門家だそうです。31運動は、米騒動の影響下に翌1919年に起った朝鮮独立運動で、奥野さんはそれとの関係にも全く触れていません。

米商売の家系に育った私らは、「朝鮮米は日本米と同じジャポニカや、あこが植民地になったお蔭で明治以来安う買い叩いて来て、えらい儲けさしてもろた」と、罪な話を聞いて来ました。それで、歳とって暇になって米騒動を調べだしたときは、インターネットの国立国会図書館サーチ(NDL Search米騒動 朝鮮」て入れて見たら、まっ先に出て来たのが『朝鮮史研究』の論文(前述の吉岡論文)と、日本近代米騒動の複合性と朝鮮・中国における連動」井本三夫『歴史評論』459(19887)です。

 

これには明治前期から日本に米騒動が起る度に朝鮮で買い占めて来るので、その度に朝鮮には防穀運動・米騒動が起こったと、詳しい文献も出ています。奥野さんは韓国の放送局からも反応あったと書いていますが、どのような反応だったのでしょうか。また、取材された番組は、日本で考えられているような内容だったのかどうなのか、気になるところです。

例えば吉岡さんは、ソウルで31運動90周年の集会にも朝鮮へ招待されて、そこで米騒動31運動の関係について講演しているので朝鮮でもその頃の歴史を勉強している人なら誰でも知っています。

 

魚津のことしか関心がない人たちは、米騒動といっても基本的な文献を読んでいないのでしょう。例えば、米蔵の会のサイトは、どなたが書いておられるのかわかりませんが、米騒動をもっと調べたい人は次のような本があります」などと教え口調ですが、最初に挙げられている「井上靖、他『米騒動の研究』1959年」に井上靖とあるのは小説家の名ですから、米騒動歴史をフィクションと間違っていることが顕れているかのようです。

 

また、挙げられている他の本も一冊以外は一九七〇年代までの本ばかりです。それ以後も研究が進んでおり、殊に八〇年代以後、富山県の米騒動については随分訂正されたと聞いています。そうした研究書には、サイト制作者にとって困ることでも書いてあるとでもいうのでしょうか

 

実際、挙げられている中で唯一の八〇年代の本が、今は出版社が無くなって買えない『いま、よみがえる米騒動』(1988年)であるのも偶然過ぎますが、それを図書館へ行って読んで見ると、米騒動東水橋町では7月初旬から始まっていて、サイトで書かれている「米騒動の始まり」のように魚津から始まったのではありません。また魚津でも米蔵の会サイトが始まり日としている七月二三日より以前に米騒動が起っていたことが書かれています。

 

そしてサイトに宣伝されている大成勝代さんの真っ赤な表紙の本「浜に立つ女たち」では、その日付や場所などの間違った内容を繰り返しています。学術書ではないとはいえ、このようにインターネットでだれでもが読めるように開示されている情報が間違っているのは困ったものだと、地道に米騒動の文献を読んでいる人たちの間で声があがっています。

米騒動についてのネット情報の現状 関西の図書館虫

discourさんいいブログを立ち上げてくれましたね。私は祖父が米屋だったので、米騒動のことを色々聞かされておりましたから、定年後はもっぱら図書館通いでその関係を読んで来たものです。ただ世代の関係でパソコンが苦手だったんですが、最近息子に少し手ほどきを受けてやり出したら、お会いできたわけです。(関西の図書館虫)

 

1).まず「米騒動ウイキペディア」を見た感想から始めましょう。

 a).出て来たのは意外に、余りにもあっけらかんと古典的なものでした。例えば参考文献として上げられている米騒動の専門書は井上・渡部『米騒動の研究』だけです(大正デモクラシーの通史ものは挙げられていますが)。したがって内容は全く古く1960年以後の進歩が全く入っておりません。つまり半世紀も古いのです。どうしてこれほど古典的!なのか。

 冷害の1993年の一時的不足などが一緒に書かれていることで判るように、現代の米の問題から出発し、米騒動という言葉が有名なので一応調べたから、ウイキペディアに出しておこう、ということなのでしょうか。米騒動自身に対する研究心は低く、井上・渡辺以後の専門的な論文・本が結構あるのを知らないんですね。

 b).それにもかかわらず文献欄に、大正デモクラシーの方は(通史ものですが)2000年代の新しい本を複数、挙げています。その大正デモクラシーの本で米騒動がちゃんと書かれていないからこうなったとも、思えます。知り合いの歴史研究者に聞いたら、賛成だとのことです。

 

 2).次にインターネットに「米騒動」とだけ入れて見ました。そしてわかったのは、次のようなことでした。

 a).米騒動90周年に際し、NHKテレビが扱った「その時歴史は動いた」での米騒動の回の内容についての紹介。例えば、 http://www.asyura.com/0610/senkyo27/msg/858.html    や、http://televiewer.nablog.net/blog/e/20161077.html など。ここには、番組で扱った最近の研究書などもリンクされたり、掲載されたりしています。これは例外的なことですが、テレビが紹介したからとも言えましょう。

 b).大阪・宮崎・福島など幾つかの地方の米騒動について少しありますが、多いのは富山県の人が書いたらしいものです。それがやはり研究の進歩を知らないで書いているらしいので、むかし聞いたお国自慢の種の蒸し返しとしか受けとれません。

 c).そして富山県の人といっても、殆ど一つの特定の町の人がその町についてだけ、学問的論証なしに書いているものです。これでは何度くりかえしても、私ら県外のものは勿論、富山県内の他の町の人にも、おさと自慢の情念しか伝わらないでしょう。米倉の保存でも他の町にもその類のものはないのか、果たして名誉なことだったのか勉強してから言わないと、客観的価値は判りません。

 

広い情報、史料を出しあって、冷静な意見交換をしながら、やって行きましょう。米騒動の全国状況や史実を広く紹介し合うことから始めましょう。

辻隆「一九一八年米騒動の研究史と細川資料」の紹介

 

 書き込みが遅くなってしまいました。始めるにあたって何から書こうかと相当迷っておりました。

 

まずですが、wikipedia 米騒動(1918年)を見ると、米騒動の専門書として参考文献にあがっているのが、井上清・渡部徹『米騒動の研究』有斐閣(1-5巻)本のみという寂しい状況でした。これは、1957-62年というしょうわな時代に刊行されたものです。つまり、今から五十年前にタイムスリップしたような古典的な情報が未だに生きているんだなあとふと悲しくなってしまいました。

 

 それでも気を取り直して、まずはゆるゆるとですが、このギャップを埋めていきたいと思います。いろいろ考えていたのですが、ネットで公開するによい文献がみつかったので、ご紹介したいと思います。

 

辻隆氏が1985年に発表された「一九一八年米騒動の研究史と細川資料」(1-3ページ(4-6ページ) (7-9ページ)という論考です。これは講演(研究発表)という形なので、話しことばでもあり、すっと入っていく文章になっています。

環日本海米騒動研究会の「米騒動通信」第三号に掲載されていたものです。編者の許可を得てここに掲載させていただきます。
 

 

 特に、辻報告では、これまで単に引用するだけのものとして活用されてきた、井上清・渡部徹『米騒動の研究』本(「京都の研究」という表現をしています。)の意義と課題について、はっきり書かれています。また、井上・渡部本刊行のあと、米騒動研究が一段落してしまったのはどうしてか、という点についても触れており、興味深いです。

 

井上・渡部本がどうしてできたのか、その元になった細川嘉禄による細川史料についても、細川とモスクワに亡命していた片山潜との関わりについても詳しく言及している点もわたしたちの関心に応えてくれます。

 

井上・渡部本に続く研究についても触れています。わたしはここが一番興味を惹かれたところです。辻氏もそれに連なる、長谷川博、増島宏氏らの研究です。そこでは、米騒動を次の4つの段階をもつ複雑な形態としてとらえているとあります。

 

第一段階は、前期プロレタリアートによる米の積み出し阻止(津留め)の運動、第二段階は、大都市の近代プロレタリアートによる米騒動、第三段階は、生産現場における、工場労働者や炭坑のストライキなど、第四段階は、農村などいろいろ騒動という形式をとらない状態、と記しています。

 

井上・渡部氏ら京都の研究者は、プチブルジョアージーを中心にした運動だと米騒動をとらえており、その点で、長谷川・増島ら東京の研究の流れとははっきり立場を異にしていると辻氏は主張しています。ここは重要な論点だと思います。この点は、追ってまた別の角度からの論考なども紹介していけたらと思っています。

 

初回は、このくらいにします。

 

米騒動研究についてのサイトをオープン

米騒動研究に関する情報をアップしていこうと思います。あまりにも米騒動についての研究情報がネットであがっていません。wikipedia での情報をはじめ、とんでも情報がまかり通っています。それで、他の研究者の方と連携をとって、より正確な情報をアップしていけたらと思っております。

どうぞよろしくお願いします。