米騒動研究ブログ

米騒動について、複数の書き手によるブログです。これまでの研究を紹介したり、ネット記事にコメントしたりとのんびりやっていきます。

米騒動についてのネット情報の現状 関西の図書館虫

discourさんいいブログを立ち上げてくれましたね。私は祖父が米屋だったので、米騒動のことを色々聞かされておりましたから、定年後はもっぱら図書館通いでその関係を読んで来たものです。ただ世代の関係でパソコンが苦手だったんですが、最近息子に少し手ほどきを受けてやり出したら、お会いできたわけです。(関西の図書館虫)

 

1).まず「米騒動ウイキペディア」を見た感想から始めましょう。

 a).出て来たのは意外に、余りにもあっけらかんと古典的なものでした。例えば参考文献として上げられている米騒動の専門書は井上・渡部『米騒動の研究』だけです(大正デモクラシーの通史ものは挙げられていますが)。したがって内容は全く古く1960年以後の進歩が全く入っておりません。つまり半世紀も古いのです。どうしてこれほど古典的!なのか。

 冷害の1993年の一時的不足などが一緒に書かれていることで判るように、現代の米の問題から出発し、米騒動という言葉が有名なので一応調べたから、ウイキペディアに出しておこう、ということなのでしょうか。米騒動自身に対する研究心は低く、井上・渡辺以後の専門的な論文・本が結構あるのを知らないんですね。

 b).それにもかかわらず文献欄に、大正デモクラシーの方は(通史ものですが)2000年代の新しい本を複数、挙げています。その大正デモクラシーの本で米騒動がちゃんと書かれていないからこうなったとも、思えます。知り合いの歴史研究者に聞いたら、賛成だとのことです。

 

 2).次にインターネットに「米騒動」とだけ入れて見ました。そしてわかったのは、次のようなことでした。

 a).米騒動90周年に際し、NHKテレビが扱った「その時歴史は動いた」での米騒動の回の内容についての紹介。例えば、 http://www.asyura.com/0610/senkyo27/msg/858.html    や、http://televiewer.nablog.net/blog/e/20161077.html など。ここには、番組で扱った最近の研究書などもリンクされたり、掲載されたりしています。これは例外的なことですが、テレビが紹介したからとも言えましょう。

 b).大阪・宮崎・福島など幾つかの地方の米騒動について少しありますが、多いのは富山県の人が書いたらしいものです。それがやはり研究の進歩を知らないで書いているらしいので、むかし聞いたお国自慢の種の蒸し返しとしか受けとれません。

 c).そして富山県の人といっても、殆ど一つの特定の町の人がその町についてだけ、学問的論証なしに書いているものです。これでは何度くりかえしても、私ら県外のものは勿論、富山県内の他の町の人にも、おさと自慢の情念しか伝わらないでしょう。米倉の保存でも他の町にもその類のものはないのか、果たして名誉なことだったのか勉強してから言わないと、客観的価値は判りません。

 

広い情報、史料を出しあって、冷静な意見交換をしながら、やって行きましょう。米騒動の全国状況や史実を広く紹介し合うことから始めましょう。

辻隆「一九一八年米騒動の研究史と細川資料」の紹介

 

 書き込みが遅くなってしまいました。始めるにあたって何から書こうかと相当迷っておりました。

 

まずですが、wikipedia 米騒動(1918年)を見ると、米騒動の専門書として参考文献にあがっているのが、井上清・渡部徹『米騒動の研究』有斐閣(1-5巻)本のみという寂しい状況でした。これは、1957-62年というしょうわな時代に刊行されたものです。つまり、今から五十年前にタイムスリップしたような古典的な情報が未だに生きているんだなあとふと悲しくなってしまいました。

 

 それでも気を取り直して、まずはゆるゆるとですが、このギャップを埋めていきたいと思います。いろいろ考えていたのですが、ネットで公開するによい文献がみつかったので、ご紹介したいと思います。

 

辻隆氏が1985年に発表された「一九一八年米騒動の研究史と細川資料」(1-3ページ(4-6ページ) (7-9ページ)という論考です。これは講演(研究発表)という形なので、話しことばでもあり、すっと入っていく文章になっています。

環日本海米騒動研究会の「米騒動通信」第三号に掲載されていたものです。編者の許可を得てここに掲載させていただきます。
 

 

 特に、辻報告では、これまで単に引用するだけのものとして活用されてきた、井上清・渡部徹『米騒動の研究』本(「京都の研究」という表現をしています。)の意義と課題について、はっきり書かれています。また、井上・渡部本刊行のあと、米騒動研究が一段落してしまったのはどうしてか、という点についても触れており、興味深いです。

 

井上・渡部本がどうしてできたのか、その元になった細川嘉禄による細川史料についても、細川とモスクワに亡命していた片山潜との関わりについても詳しく言及している点もわたしたちの関心に応えてくれます。

 

井上・渡部本に続く研究についても触れています。わたしはここが一番興味を惹かれたところです。辻氏もそれに連なる、長谷川博、増島宏氏らの研究です。そこでは、米騒動を次の4つの段階をもつ複雑な形態としてとらえているとあります。

 

第一段階は、前期プロレタリアートによる米の積み出し阻止(津留め)の運動、第二段階は、大都市の近代プロレタリアートによる米騒動、第三段階は、生産現場における、工場労働者や炭坑のストライキなど、第四段階は、農村などいろいろ騒動という形式をとらない状態、と記しています。

 

井上・渡部氏ら京都の研究者は、プチブルジョアージーを中心にした運動だと米騒動をとらえており、その点で、長谷川・増島ら東京の研究の流れとははっきり立場を異にしていると辻氏は主張しています。ここは重要な論点だと思います。この点は、追ってまた別の角度からの論考なども紹介していけたらと思っています。

 

初回は、このくらいにします。

 

米騒動研究についてのサイトをオープン

米騒動研究に関する情報をアップしていこうと思います。あまりにも米騒動についての研究情報がネットであがっていません。wikipedia での情報をはじめ、とんでも情報がまかり通っています。それで、他の研究者の方と連携をとって、より正確な情報をアップしていけたらと思っております。

どうぞよろしくお願いします。